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朝の連ドラ『あさが来た』、広岡浅子ってどんなひと? [話題(芸能)]

今期の朝ドラ、『あさが来た』が始まりましたね~。

ヒロインの波瑠さんが演じる「白岡あさ」は、実在するモデルがいます。
それが、『広岡浅子』さん。

一体、この広岡浅子はどういう人物だったのでしょうか?

浅子は1849年、京都で生まれました。
この頃の京都は、正に幕末の動乱期。時代の変革とともにその青春時代をすごしました。

もしかしたらこの頃、幕末の志士たちと交流があったりしてと、歴史ロマンを感じてしまいます。


そして大坂の豪商・加島屋の広岡信五郎と17歳で結婚。
豪商に嫁ぎ、順風満帆に思えた夫婦生活も一転、
加賀屋の商売は大半が諸藩との取引であった為、急激に財政が悪化します。

浅子は独学で経営を学び、その学んだことを活かし、加島屋の立て直しのために奔走するのです。

そして浅子は、炭鉱業に眼をつけ、何度も失敗しては立ち直り、
九州の潤野炭鉱を優良炭鉱へと生まれ変わらせたのです。

この経験から、浅子は七転八起を超える「九転十起」を座右の銘とし、
さまざまな困難を乗り越えていったのです。

また浅子は、女子教育に心血を注いだことでも有名です。
自ら政財界の有力者に女子大学の必要性を説いて回り、
日本初の女子大学・日本女子大学校(現在の日本女子大学)の設立にも深く関わりました。

ちなみに加賀屋は今の大同生命の前身となったところで、浅子の「九転八起」の精神は、
今でも受け継がれているのですね!!




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